講演会のチラシ作成時には、新型コロナやインフルエンザなどの感染症が増加傾向にあったため、募集定員を100名としましたが、チラシ配布後に感染症は減少に転じたことから、定員を増やしました。それでも、募集開始後わずか4日目で190人を超え、お申し込み受付を締め切りましたが、実際にはキャンセルがあり、当日の参加者は165名でした。

講師は朝日新聞記者の中山由美氏です。中山記者は45次南極観測越冬隊に同行し、その後も51次夏隊、61次越冬隊と3回南極へ、北極へは8回取材に行かれ、そこで体験したことや、北極と南極からわかった地球環境のことなどをお話しくださいました。


南極点への一番乗りを、ノルウェーのアムンゼンとイギリスのスコット、そして日本の白瀬中尉の探検隊が競争しました。現在は、南極に犬や猫などの動物を連れていくことは、環境を変えてしまわないよう禁止されていますが、アムンゼンと白瀬中尉は犬ぞりを使ったのに対し、スコット隊は、馬で行ったそうです。スコット隊は、アムンゼン隊に次いで南極点に到達しましたが、帰路の途中に南極で全員が亡くなっています。白瀬中尉は南極点まで行くことはできませんでした。


スライドに南極観測船が映し出されました―――
この船の名前知ってる?と講師の方が問いかけると、即座に「しらせ」~という元気な子どもの声が。
スライドに登場した「しらせ」は、南極観測船としては4代目です。
「宗谷」→「ふじ」→「1代目しらせ」→「2代目しらせ」
この「しらせ」の砕氷能力は大きいのですが、それでも氷が割れない時は、少し後退し勢いをつけて氷に体当たりして割っていくのだとか。

1955年、本日の講師の勤務先である朝日新聞社が、世界各国が南極を観測しようとしていることを知り、日本もそれに参加しようと提唱し、南極観測が始まりました。第1次観測隊には、提唱者の朝日新聞社が社員10人と航空機を提供したとのことです。

初代の南極観測船「宗谷」は、1938年(昭和13)耐氷型貨物船として建造された船ですが、南極に行けるように改造されました。しかし、砕氷能力は十分ではなく、厚い氷に阻まれ一度も昭和基地に接岸できていません。(詳しいことは「船の科学館」のサイトへ 南極観測に参加するには、「宗谷」の改造だけでなく、太平洋戦争の遺恨から「日本には、まだ国際社会に復帰する資格などない!」と、日本が南極観測に参加することに反対されるなど、いろいろと困難があったようです。「宗谷」は現在、「船の科学館」前に係留され保存展示されています)


ユーモラスだったのは、ペンギンの赤ちゃんの毛が大人の毛に生え替わる途中の写真です。おとなのペンギンに、ふわふわモフモフの毛がくっついているように見えます。また、おとなのペンギンも年に1回、毛が生え替わるそうです。頭の部分だけに古い毛が残っていると、まるでモヒカンのようだったり、全体に古い毛が残っている時は、ペンギンが着ぐるみを着ているように見えるのだとか。中山記者が撮影したユーモラスな写真をお見せできないのが残念ですが、こちらのサイトに似たような写真があります。
古い毛は撥水性(水をはじく性質)が落ちているので、全ての毛が新しい毛に生え替わるまで海に入れず、エサが採れません。じ~っと我慢です。この間、ほとんど動かないペンギンもいるそうです。


氷床深層掘削の拠点として開設された「ドームふじ基地」(昭和基地からドームふじ基地へ行くのに、時速10㎞の雪上車で1か月もかかります。)で、氷床を3035mまで掘り出すことに成功し、その一番下の氷が、約72万年前のものだったことがわかったそうです。
掘り出した長い氷床コア(氷の柱)の中を調べると、過去の地球のことがわかります。特に、中に閉じ込められている空気の成分を調べることで、過去の温度がわかるそうです。そのわかったことは、寒い時期(氷期)と温かい時期(間氷期)が約10万年周期(氷期-約9万年 間氷期-約1万年)で繰り返されてきた、ということです。
過去80万年間における南極の気温の推定値を見ると、地球温暖化って言われているけど、今が温かい時期なだけで、また寒い時期が来るから心配いらないんじゃないの?と思うかもしれませんが、実は・・・過去2000年間の変化を見てみると、20世紀後半から過去に前例のないほど短期間で急激に気温が上昇していることがわかりました。やはり温暖化は人間の活動が影響していると言わざるを得ません。
地球環境研究センター 過去80万年間と過去2000年間の気温変化のグラフはこちらのサイトで】


南極では「軍事基地をつくらない」、「領土権を主張しない」、「環境を守る」など、南極の平和利用のための「南極条約」があり、約50か国が締結しています。南極には約20か国の越冬基地がありますが、どの国も協力して南極観測を続けています。戦争や紛争が絶えない現在、中山記者は「全地球が南極のようになればいいのに」と話されていました。そして参加者のアンケートには、「南極条約と同じような地球条約ができるといいのにな」との感想が。


さて、北極のスライドが映し出されました――
氷河の表面が黒っぽくて、土埃で汚れているように見えますが、これは土ではなく、「クリオコナイト粒」といわれる微生物と細かい鉱物が集まってできた小さな粒だそうです。北極は南極よりも、地球の温暖化の影響を大きく受け、50年間ですでに平均気温は3~4℃上昇し、それによって微生物が増殖しやすくなりました。氷河の表面が黒くなると、太陽熱の吸収が高まり、ますます氷河が融けていくことになるのです。

講師の中山 由美記者は、ご自身の著書『北極と南極の「へぇ~」くらべてわかる地球のこと』の中で次のように記されています。

そして最後のページには


さて、中山記者のお話の後は、質疑応答です。会場からはたくさんの質問がでました。本当にたくさんの質問がありましたが、二つだけご紹介します。

<地球環境を守るために私達ができることは?>
例えばマイバッグを使うなど、自分一人がやっても仕方ないよね、と思わず皆が少しずつでも取り組めば、それは大きなものになるのでは。

<南極点では方位磁石はどこを向く?>
実は南極の地磁気の極「南磁極」は、一定の位置になく移動しており、現在は海にあるので、南極点でのS極は、その南磁極がある方向を向くそうです。

では、南磁極の上に方位磁石を持ってきたらどうなるのか、S極は下向きになるのか、
その答えはこちら

方位磁石で南極点(南緯90度)を探せないのなら、GPSなどなかった時代のアムンゼンは、どうしたのでしょう?アムンゼンは六分儀という器機で、太陽との角度を測ることによって南極点を探したそうです。
さらに、「南極点」も「南磁極」と同様に一定の位置にはなく、氷床が移動するため、位置が変わるのだとか。



講演が終わっても、多くの子ども達が(大人も)中山記者の元を訪れ、さらにいろいろと質問をしていました。写真の男の子は、質問に応えてもらった後に、再び中山記者の元へ。この男の子の背丈が、ちょうど皇帝ペンギンと同じくらいだそうです。


中山記者は、始終笑顔で北極と南極、そして地球への想いがあふれるお話をしてくださいました。その想いは参加者にじゅうぶんに伝わったようです。以下は参加者の感想です。

*すごくわかりやすくて、楽しかったです。めちゃくちゃノートに書きました。(小学生)
*とても分かりやすくて面白かったです。南極や北極に興味がわきました。(中学生)
*気温の事、微生物のことなど初めて知ることも多く、驚かされました。(保護者の方)
*映像を見て、地球って素敵だな。守っていかないといけないなと思いました。(一般の方)
*大人も知らなかった極地の活動や生活の様子、動物の生態などを子どもたちにわかりやすく、伝えていただき、子どもたちが自分たちの住む地球環境に大いに興味を持つ講演内容でした。(一般の方)